みなさんは、フジテレビの名物プロデューサーの蜜谷浩弥さんをご存知でしょうか。「笑う犬」シリーズや「ジャンクSPORT」などの有名番組を手掛けられた、フジテレビのチーフプロデューサーです。
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蜜谷浩弥さんはどういう人か
なぜ蜜谷浩弥さんは人々に面白いといわせる番組を作ってくることができたのでしょうか。
蜜谷浩弥さんの経歴や考え方を見ていくとわかるかもしれません。まずは考え方から見ていきましょう。
蜜谷浩弥さんは面白い番組をつくりたい
蜜谷浩弥さんの想いは、「面白い番組をつくりたい」だそうです。今はインターネットの時代、YouTubeとかSNSとか、面白いものは他にもたくさんあります。そんな時代に既存のメディアであるテレビを見てもらうためには、蜜谷浩弥さん曰く「超面白いものを作りさえすれば、みなさん必ず見てくれる。ネット番組かどうかは関係ない」だそうです。
蜜谷浩弥さんはお笑い番組に興味がなかった!
そんな面白い番組作りに熱心な蜜谷浩弥さんですが、フジテレビ入社当時は、お笑い番組はほとんど見たことがなかったそうです。
石川県の山間部の過疎の村で育った蜜谷浩弥さんの学生時代の目標は、大学を卒業したら官僚になって、ゆくゆくは政治家として地元に戻り、地元を元気にしたいでした。官僚になる、とか政治家になる、とかの希望があるということは、学業はとても優秀だったことが想像されます。だからこそ、お笑いには全く興味がなかったそうです。
フジテレビ入社後も、学生の頃は音楽に興味があったので、音楽番組に携わりたいと思っていたくらいです。
しかし、なぜかお笑い番組に配属になり、最初に関わった番組は「笑う犬」シリーズだったそうで、蜜谷浩弥さんご本人は、とてつもなくびっくりしたそうです。上司から「お前が望んでいたお笑い番組に」と言われたときには、絶対に誰か違う人と勘違いしている、なんて思ったそうです。
蜜谷浩弥さんは知らない世界でも積極的に関わる
お笑いを全く知らないで、お笑い番組に配属になった蜜谷浩弥さん。実際に番組に関わってみると、周りのスタッフはみんなお笑い番組好きで、自分だけ門外漢だと悩む日々もあったそうです。それでも蜜谷浩弥さんは、貪欲にお笑いの知識を吸収していきました。
同じフジテレビの「笑っていいとも!」の現場にこっそり見学に行ったり、他のお笑い番組を全てチェックしたり、台本も熱心に読み込んだそうです。お笑い芸人さんとも、熱心に交流したそうです。
門外漢だからといって腐らず、一生懸命その世界の勉強をするのが、蜜谷浩弥さんのやり方です。
蜜谷浩弥さんの番組制作の傾向
蜜谷浩弥さん流のお笑い番組への接し方
「日本一お笑いを見ている」くらい熱心なお笑いの勉強から、蜜谷浩弥さんは、自分なりのお笑い番組への接し方を会得しました。例えば、ネタ番組では、スタッフは、ネタを考えてきた芸人が話しやすい環境を整えてあげることが重要だけど、コント番組は、ある程度制作側が枠を決めてあげて、芸人のアドリブも生かしながらだけど、演技をしてもらうなどがよい、そんな感じで接しているそうです。
蜜谷浩弥さんはお笑い番組を作るのが好き
お笑い好きの人はたくさんいると思います。お笑い番組ばかり見ている人は、それこそたくさんいるでしょう。そういう人は、お笑い番組を見るのが好き、という人たちです。
蜜谷浩弥さんの場合、お笑い番組を見るのが好き、というタイプではありませんでした。仕事として関わるようになってお笑い番組を研究するうちに、お笑い番組を好きになっていったという、番組制作としての観点からのお笑い好きです。
つまり、お笑い番組を「作る」のが好き、というタイプでしょうか。
多分、根っからのテレビマン、お笑い番組の制作者なんでしょう。
お笑い番組を作るのが好きな蜜谷浩弥さんですから、作る番組が面白い番組ばかりなのは当然のことなのですね。
蜜谷浩弥さんのAD経験が番組制作に生かされる
蜜谷浩弥さんが最初に関わった番組「笑う犬」シリーズでは、AD(アシスタントディレクター)でした。
テレビ局のADといえば、奴隷とも言われるぐらい過酷な仕事だと言われています。ディレクターの補佐といえば聞こえはいいですが、ロケ地の下見や、番組に関わる各種リサーチ、取材および撮影の交渉、撮影前の下準備、撮影機材の準備と片付け、収録当日の仕事、出演者の控え室である楽屋の掃除、弁当の準備などと、縁の下の力持ち的な仕事ばかりが続くそうです。
ディレクターや出演者に言われたことは、なんでもすぐに実行しなければならないと聞いたことがあります。テレビ局の方の裏話で、残業や休日出勤、徹夜勤務はしばしばで、自宅に帰れない日々が続くって話、聞いたことありませんか。
蜜谷浩弥さんは、ADの仕事を通して、お笑い番組の知識を身につけていったのでしょう。単なる縁の下の力持ちではなく、その仕事から、お笑い番組に関する知識を身につけていったのです。
ADとしての忙しい日々にも関わらず、多くのお笑いを見て、芸人さんとの交流を深めていきました。ADの仕事だけでも大変なのに、番組には直接関係のない知識を勉強するのは、生半可な覚悟でできることではありません。
蜜谷浩弥さんが作るお笑い番組は、強い覚悟で得たお笑いに関する知見が、存分に生かされてできているのです。
蜜谷浩弥さんは有名ミュージシャンが出演するお笑い番組も
お笑い番組の制作に人生をかけてきたとも言える蜜谷浩弥さんが、今までで一番楽しいけれど、一番辛かったという番組が「桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜」なのだそうです。
桑田佳祐さんをお笑いに!蜜谷浩弥さんは2期からディレクターに
この番組は、超有名アーティストの桑田佳祐さんが出演した、音楽バラエティ番組です。もともと桑田佳祐さんは、コメディアン的な素養がある方ですが、そうはいってもアーティストはアーティスト、お笑い芸人とは違いますので、お笑い的な要素だけでは進行しないということは明白でした。
桑田佳祐さんのアーティストとしての本業に差し障りのないように、期間と回数を決められてスタートしたこの番組は、1期24回、合計2期48回が制作されましたが、蜜谷浩弥さんは、2期のディレクターとして番組に関わりました。
もともと学生時代に音楽好きだった蜜谷浩弥さんがディレクターとして関わった2期は、1期よりも音楽的要素が強くなった番組内容になりました。お笑いの中にもしっかりした音楽要素を取り入れた番組制作をされています。2期の企画では、「声に出して歌いたい日本文学〈Medley〉」で、名作日本文学に桑田佳祐さんが曲をつけるというものがあり、蜜谷浩弥さんにとっても忘れられないものになっているそうです。
当初企画が持ち上がったときに、名作文学では時間がかかるから無理だろうと考え、童謡の歌詞に桑田さんが曲をつける内容に変更して、桑田佳祐さんに相談したそうです。しかし、桑田佳祐さん本人が、蜜谷浩弥さんに「これで本当に面白いの?」という疑問が示し、蜜谷浩弥さんが「実は日本の名作文学でやりたかったのですが」と回答したところ、桑田佳祐さんは二つ返事で快諾したということです。
日本文学にメロディーをつける時間など、桑田佳祐さんにあるわけがないと当初は遠慮して相談しなかった企画でしたが、実際に進行してみると、あっという間だったといいます。桑田佳祐さんは日本文学に高いクオリティでメロディーをつけてきたことに驚いたとか。
桑田佳祐さんは素晴らしいですが、桑田佳祐さんから「本当に面白い?」と質問されたとき、大抵の人は最初から諦めてしまい、色々と言い訳を考えてしまいがちですが、本当の企画を示し、思いをぶつけた蜜谷浩弥さんの人間性が素晴らしいのではないでしょうか。蜜谷浩弥さんの素晴らしい人間性を基礎にした、桑田佳祐さんとの信頼関係があってこその話です。
蜜谷浩弥さんが制作する今後の番組に期待!
蜜谷浩弥さんは、努力の人だと思います。だからこそ、さまざまな人に信頼され、交友関係が広くなり、その結果、良い番組が作れるのでしょう。蜜谷浩弥さんは、これからも、その人間性で、魅力的なお笑い番組を作り続けることでしょう。蜜谷浩弥さんが今後作る番組は期待できますね。
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